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2008年3月28日 (金)

いやぁ~、エロ漫画ってホントにいいものですねぇ

 ガンダム00がすごいことになってますねぇ。三木さんと藤原さんのテンションの高さに驚きました。キャラ大虐殺は富野ガンダム(ターンAは除く)の定番ですが、禿は基本的に死亡フラグとかはたてない無いので、フラグびんびんの00は、時代の変化を感じさせます。
 コーラは死んじゃったのか、くぎゅぅとちわわに見せ場はあるのか等、気になる点が多いですが2期を待つしかなさそうです。まぁ「お前のケツの穴を狙い撃ちたい」というネタが使えなくなることだけは確かだと思います。

 まったく関係ない話ですが、前回の更新で「ロザリオとバンパイア エロ」の検索ワードに引っかかった人が結構いたみたいです。全然そんなつもりは無かったのですが、だますような結果になってしまって申し訳ないと思います。皆さん夏まで待ちましょう。
 ところで前回は澁澤龍彦の「悪徳の栄え」についてふれました。そのあとでたまたま伊集院光さんのラジオを聴きました、伊集院さんはアダルトビデオについてどこからどこまでがOKなのかということを話題にしていました。伊集院さんは非常にすっきりした正論を述べていましたが、日本における「わいせつ」の歴史、性表現の規制の歴史を知らないんだろうなという感じがしました。恐らく私が性表現の検閲の歴史については常識だと思っているようなことが、一般的にはあまり知られていないようです。ということで今回は性表現の規制の歴史を解説します。次回はその続きと私の意見を述べようと思います。

 私はエロ漫画が大好きです。抜くか抜かないかという、単純なポルノとしての枠の中で、どれだけポルノにとどまらず漫画としての技量、個性を出すかという奥の深さ、そしてそれに自分がどう向き合い、楽しむかという面白さがたまりません。ただ1冊あたりの値段が高いので古本屋を利用することが多くなります(自分のニーズに照らすと玉石混合だというのもあります)。
 古本屋で物色をしていたところ、定価の3倍以上の値段で売られている漫画がありました。ほかの漫画が定価以下の値段で売られているなかでは、その漫画は明らかに異質でした。そのプレミアのついたエロ漫画というのが実は裁判で発禁を食らった「蜜室」という、その筋の世界では有名なエロ漫画でした。私が戦後のわいせつ裁判として(刑法175条猥褻物領布罪が適用された裁判)重要だと思うのは伊藤整のチャタレイ裁判、澁澤龍彦のサド裁判、そしてこの「蜜室」が訴えられた松文館裁判の3つです。

(下の三つの裁判はどれも出版した人も訴えられてますが面倒なので省きます)

 1 チャタレイ裁判
 これは戦後間もない日本で起きた、政治経済の教科書にはたぶん載ってる(私が高校生のときは載ってました)有名な裁判です。
 イギリスの作家D・H・ロレンスの書いた「チャタレイ夫人の恋人」という、作家の妻と庭師の不貞の愛を描いた作品を、伊藤整という日本の作家が翻訳しました。この作品は妻と庭師の情事が非常にこと細やかに描かれていることから、猥褻であるとして訴えられました。伊藤整は最高裁まで争ったのですが結局猥褻であるとして、この小説はいくつかの部分を削除(*で伏字になりました)されました。法学的に重要なのは、憲法にある公共の福祉と表現の自由との衝突で、公序良俗に関しては表現の自由は制限されるという最高裁の判例ができたことと、またこの裁判で猥褻とは何かということを、一応形にしてみた猥褻の三要件が決まったことがあります(当然のことですがここで定められる猥褻と、前回三島由紀夫や私が決めたわいせつは違います)。以降の裁判はこのチャタレイ裁判を基準にして決まるようになってます。

      猥褻の三要件
     1 いたずらに性欲を刺激する
     2 正常な人間の羞恥心を害する
     3 善良な人間の性的道義心に反する

 後日譚として伊藤整の息子伊藤礼が、伊藤整版の『チャタレイ夫人の恋人』を、些細な誤訳等を治してほぼ伊藤整版に近い形で出版しましたが、何の問題も無いようです。当時の規範に照らせば猥褻なのでしょうが、今これを猥褻だといえば鼻で笑われるでしょう。すくなくとも2,3の「正常な人間の羞恥心」、「善良な人間の性的道義心」は時代によって変わる物だということです。(もっとも最高裁の判決文では猥褻が絶対的なものではないということが記されています)

 2サド裁判
 マルキ・ド・サドのジュスティーヌ関連の物語のいくつかを、澁澤龍彦が翻訳しまとめた『悪徳の栄え 続ジュスティーヌ』が猥褻物領布として訴えられました。前回述べたように澁澤もこの裁判で負けました。
 しかしこの裁判騒動でで二つのポイントがあります。一つは裁判にかかわった澁澤や三島が、いわゆる猥褻が一切消滅した世界は絶望的なまでに味気無く、つまらない物だということをさまざまな場で発言したことです。もう一つが司法に携わる人間の猥褻か否かの判断が、単純に見る人間の生理的嫌悪感によるものでしかなく、実際にそういった人々は、局部が描かれているかどうかという即物的な理屈立てしかできない人たちだということが露呈したことです。
 この『悪徳の栄え』はアナルセックスか二本刺しがスタンダードで、終始一貫しキリスト教的美徳や道徳に糞を塗りたくってます。まさに阿鼻叫喚の糞尿地獄です。淫行、騙し、窃盗、虐殺がこれでもかとおこなわれ、その行為者たちは「いやぁ~生娘を犯して殺すのは最高だぜぃ!!」と幸福と満足の絶頂に至り、悪徳に邁進するものはますます繁栄を極め、美徳に従う者はとことん虐げられていきます。勘違いされないように断っておきますが、最初から最後までこの調子です、けっして悪党が成敗されるなどという軟弱な、安心できる展開は用意されていません。まさに「公序良俗糞食らえ」な作品です。前回紹介した三島が言う猥褻に当てはまるのは明らかです。しかしこの作品で抜けるという上級者はあまりいないでしょう。私もその域には達していません。つまり猥褻の3要件の1つ目をクリアしていないわけです(これが弁護側の論点でした)。しかし判決はこれを猥褻であると強引にこじつけました。豪華メンバーによって法廷で展開されたサド論のほんの一つまみでも裁判官が理解していたかははなはだ疑問です。
 作品の猥褻性が作品の文学的価値によって薄められるかいなかといったことを、まわりくどく延々と語っていますけれども、猥褻性と文学的価値を切り離して考えているあたりが、猥褻が表現の露骨さかいなかといったレベルでしか考えられていないのをうかがわせます。

 3松文館裁判
 これは記憶に新しいのでご存知の方も多いと思います。
 どっかのオッサンが自分の子供のエロ漫画を見て、その本を取り締まるようにとの嘆願文を手紙にしたため、警察OBの議員の平沢勝栄に投書したことが事件の始まりでした。すだれハゲは警察に取り締まるよう口利きをし、なぜか警察はそのエロ漫画を出版している松文館の別の漫画である『蜜室』を摘発しました。
 この裁判も証人に齋藤環氏(病気としての引きこもりの臨床、研究に携わる精神科医で、オタク文化の研究でも有名)、宮台真司氏(サブカル、哲学、政治と守備範囲の広い社会学者)、ちばてつや氏と有名人が集った豪華な物でした。
 この裁判はチャタレイ裁判やサド裁判とは違って芸術対公共の福祉という構図ではなかったこと(作品が芸術という「高尚さ」を持ち合わせていないということは共通見解でした)、初めてマンガという日陰の文化が槍玉に挙げられたこと、オタクの2次元におけるセクシュアリティーがどういうものであるか、本当に猥褻なるものが公共の福祉に反しているのか(適切にゾーニングがなされていれば問題がないのではないかということ)等のことが現実的かつ重要な争点であったことなどでしょう。
 またこの裁判も負けました。この裁判は次回詳しく述べようと思います。

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