松文館裁判
最近いろいろなことがありました。今週から学校が始まるのでゼミの準備で本を読み始めたり、アニメの入れ替えが始まったり、かのこんとTOLOVEるが始まって日本が終わったり、若松孝二の映画を観たりとホントいろいろです。
更新が遅れましたが、前回の続きとポルノの規制について今回話をします。前回もところどころ私の押し付けがましい主張がありましたが、今回はそれしかありません。
二次元のポルノの前に三次元のポルノの規制について軽く話そうと思います。
アダルトビデオやエロ本は戦後延々と規制され続けてますが、警察とかの司法機関が取り締まる訳ではないです。実際は映倫やビデ倫といった機関が検閲をしています。(マンガ等の出版物は出版社の自主規制が主です)。凄まじい量のエログロコンテンツが生産されている中で一定の普遍性を持ったアウトゾーンを決めるのに、前回前々回で述べたような私の言うわいせつと法的な猥褻によって対処するのは不可能です。したがって具体的なコードによってビデ倫の規制や自主規制をしています。
つまり槍玉に挙げられるような場合を除いて、現実の規制には「どれだけ過激だ」とか「反社会的である」とかいう基準は用いられず、機械的に認識するコードを用いています。早い話がマンコとチンコ(かつてはアナルも)を映さなければ(描かなければ)いいというわかりやすい規制をしています。
当然ですが猥褻か否かがこんな風に機械的なコードで認識できるわけがありませんが、日本は長い間コードによる規制で満足していたのです。だからどうしたと思うかもしれませんが、実は世界的には特異なのです。欧米ではポルノは無修正が基本ですが、槍玉に挙げるときは存在を完全に抹殺する勢いです。『ネクロマンティック』というネクロフィリア(死体との性愛)を描いたドイツの映画があったのですが、裁判所はこの映画にフィルム焼却処分を命じました。私は2年ほど前、フィルム焼却処分になったはずのこの映画をTSUTAYAでレンタルしてモザイクつきでみることができました。『愛のコリーダ』が日本ではモザイク付きでしか見れないことと対照的な例だと思います。
つまり日本はモザイクさえかければ死体と姦ろうが、ウンコを食べようが問題ない国でした。
ところがここ数年で状況に変化が起こりました、変化の一つはご存知のようにインターネットの登場です。海外の無修正動画が簡単に見れるようになりましたし、裏ビデオの通販も簡単にできるようになりました。「赤信号みんなでわたれば怖くない」という格言のように既成事実として無修正動画が氾濫し、もはや局部を神経質に隠す意味が現実的にはなくなりました。もう一つの変化として政治家や馬鹿なババァ共が、見たら嫌な思いをするとわかっているアングラな世界をわざわざ見て、キーキー騒ぐようになったことです。
もともとポルノで局部を隠すことに意味があるとは思えません。大半の人間は一生童貞、処女でもない限りいつかは見ることになるわけだからです。しかし私は映倫は大嫌いですが、ビデ倫はほめてもいいと思います。ポルノを見ているときはモザイクはうっとうしいことこの上ないですが、隠されるからこそ余計に妄想を熱く膨らませることができるのです。私は無修正のポルノを見たときに非常にがっかりしたのを覚えています。モザイクのおかげで日本人は世界最高峰のスケベな民族足りえたと思います。
現在の無修正だらけの状況が、どういう結果へとつながるのかはわかりませんが、少なくとも無修正を取り締まる法律はザル法であるということはいえると思います。
以上が私の知る限りの実写もののポルノの規制についてです。
タイトルにあるように以降二次元のポルノの規制について語ります。
エロ漫画の規制は基本的にPTAのバカなババァ共が槍玉にあげて有害図書として攻撃するというのが典型です。しかしエロほど普遍的なものはこの世には存在しないので、エロ漫画は影の世界で非常に濃ゆい営みを続けていました。マンガに関しては倫理規制をする人たちがいないので基本的に自主規制なのですが、アダルトビデオに比べてかなりゆるいです(出版社によって差はありますが)。例えて言うならお茶漬け海苔が申し訳程度に貼られているといた感じです。
前回紹介したように松文館という出版社のエロ漫画が摘発されました。この裁判の弁護側の主張の重要な点を述べる前に、エロを規制する理由について語ろうと思います。
エロやグロで嫌な気分になる人がいるというのと、真似する奴がいるというのが規制をする口実です。しかし私が思うに自分のもつ規範とたがえるものがフィクションとして存在することが許せないというヒステリックな要因が強いと思います。
現実と虚構とは何かというと、何だって認識をしている以上は虚構であり、現実は虚構より先にあるとされているものです。人は現実を規範によって組み立てるのですが、即自的とでも言うのかその現実のなかに自分を溶け込ませています。つまり自分の持つ規範から逸脱した物に対峙したとき、自分が侵食されることへの拒絶反応を示し、受け入れたり排除しようとします。
わかりやすい例がハンセン病患者の隔離でしょう。大抵の人間は「人は美しいものである」という現実の中で生きています。ところが顔が醜く変形したハンセン病の患者を目にすると、「醜い人間」が「美しい人間」を侵食し、必死に「醜い人間」を現実から排除しようとします。おもしろいのは個人レベルの行動でその拒絶反応が起こるのではなく国家レベルでそれをやるという点です。
人間の羞恥心は、変な話ですが人間の最も根本的なエロスを汚い物として排除しようとするのです。キリスト教社会がアブノーマルな性を持つ人間を徹底的に抹殺していたことを思い起こしてください。
裁判の話に戻しますが、精神科医の齋藤環氏はいわゆるオタクは3次元の現実と2次元の現実をパラレルに扱う人たちであり(これが彼のオタクの定義です)、2次元での性欲を3次元での性欲に発展させるのはまれであり、エロ漫画を読んで実際にことを起こすことはまれだと主張しました。さらに社会学者の宮台真司氏は、ゾーニング(すみわけ)がなされていれば「見たくない物を見ない」権利は守られるし、暴力的なフィクションに慣れ親しんだ人が暴力的な行動に走りやすいという強化効果説は一時的には成り立つが、長期的にその人を暴力的な人間にするというのは統計的には証明できていないこと、そしてむしろ犯罪を抑止する効果すらあるということを踏まえ、アダルトコンテンツが必ずしも性犯罪の増加にはつながらず抑止する可能性もありえることを述べました。
判決文は(ネットで見ることができます)齋藤氏、宮台氏の証言を理解していたとはとても思えないような物で、チャタレイ裁判とサド裁判ときて時代が経るにつれて裁判官の質が劣化していってるのがよくわかります。「こんなものけしからん!!」というチャタレイ裁判とサド裁判のほうがまだ筋が通っていました。判事は一応日本でトップクラスの難易度を誇る試験を潜り抜けた人のはずなのに、結局は上に挙げた様なヒステリックな理由でしか判断を下せないバカになっているのです。いかに日本の司法が末期的な状況に陥っているかをうかがわせます。
個人的にはポルノによって犯罪に走る人間が存在するのは本当だと思います。しかしポルノによって犯罪に走らずにすむ人間の方が圧倒的に多いでしょう。人間には汚い面がいろいろとあるのですから、それを排除するよりもうまく付き合うようにするのが重要です。
有害なメディアによる青少年の健全な育成の阻害というのは取ってつけたような言い訳です。それより危険なのは、裸や死体を見て嫌な気分になるだけではなく、ビビッてしまうような軟弱さのまま大人になってしまうことです。私みたいに一生処女童貞のまま終わることを前提にしているのなら別ですが、社会が成り立つためには大部分の人間が他人の裸を拝む必要がありますし、現実に世界では戦争があり、日本の経済的繁栄はなんだかんだいってその戦争に支えられているということを知らずにいていいわけがありません。
見たくない物を見ない権利を勝ち取るためには、自分がどういうものを見たくないのかを知る義務あり、そのためには見たくない物を見ないとダメです。
児童ポルノ法を強化しようとするババァどもは、自分が子供を虐待から守りたいのか、子供が性の対象としてみることが許せないのかの区別をするべきでしょう。後者は明らかに憲法の思想信条の自由に反していますし、憲法以前に他人の性癖にとやかく注文をつけるのは止めましょう。
追記として野田聖子や公明党の議員のようなバカが「アニメ産業を国際的に展開させていくために、過激な性描写を取り締まるべきだ」という旨の発言をしますが、それについてコメントをして今回の更新を終えます。
日本の文化の優位性は、『ネクロマンティック』やセリーヌの政治的パンフレットが存在することができるという無法さに支えられているといってよいでしょう。アニメの発展にくりぃむレモンのロリや川尻善昭のエログロがいかにアニメの発展に貢献したかを知ってからものをいいましょう。
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