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2008年6月

2008年6月22日 (日)

最近のアニメ

 最近あまり勉強がはかどらずに困ってます。院試まで一ヶ月強、資格試験まで半年・・・前者は何とかなるだろうけど、後者はびみょう。まぁ何とかなるでしょう。

 最近のアニメのの暫定的な評価をしてみようと思います。最近はこれっ!て言う華と面白さを兼ね備えたアニメはなかなかないですが、かといってまったくダメというわけではない、むしろ平均で言えば質は上がっていると思います。出来がよいと同時に、エンターテイメントとしても飛びぬけていて、作家性やエゴの強いアニメはない分、それなりによくできている、まぁまぁ面白いアニメが多くなったと思います。アニメの産業構造に変化が現れているからだと思います。「これで世界を変えてやるっ!」ていう博打のようなアニメで一発当てに行こうという山師的なムードから、一定のコストに対し一定の手堅いリターンを得ようという投資家的なムードに変化しているのでしょうか。
 完全に凋落してしまった日本映画とハリウッドの二の舞にならないかどうかが不安です。完全なビジネスマンが経営し、現在火の車のGONZO、道楽でアニメをつくる体育会系山師集団(ほめ言葉ですよ、怒らないでくださいね)BONSE、一定の良作、傑作をつくるIG、いい意味でも悪い意味でも昔ながらなSUNRISEなど、それぞれ特徴のあるアニメ制作会社の動向が気になります。ただ短期的には胸娘、かのこん、とらぶる(どれもXEBEC)のようなアングラでのエログロ路線が加熱すると思います。
 最近のアニメで面白いのは湯浅氏の手掛けるカイバとむっちむちのRDでしょう。地味に面白いのはドルアーガの塔、PERSONA、二十面相の娘、いたずらなKiss、マクロスFだと思います。

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2008年6月 7日 (土)

携帯電話

 アメトークのエヴァ芸人の回を見ました、やっぱオリエンタルラジオはうざいですね。なにも語る言葉を持ちません。エヴァについていつか語りたいものです。ちなみに私が好きなのはリッちゃんです、あのj濃厚なギトギトした感じがたまりません。「伊吹マヤが一番!」そんな風に思っていたころが俺にもありました。

 今回は携帯電話について語ります。凶華様の特殊能力のことではありません。
「ガイアの夜明け」という番組で子供から有害なネットのコンテンツから守れという趣旨の番組が放送されました。小中学生が学校の裏サイトやプロフを使って誹謗中傷を行い、自殺に追い込まれるという事件が多発していること、ネット上の出会いや交流から犯罪を起こす物が出るという事件が多発しているというのです。
 私個人の考えでは小中学生に携帯電話をもたせるのはダメだと思います。少なくともソフトバンクの子供に携帯電話をもたせようとするCMのような風潮(規範)はダメです。
 最近は政治家たちの間でも携帯電話を子供に持たせるなという議論があるそうですが、彼らの考えと私の持論とは大きな違いがあります。

 ここ10年くらいでパソコン、インターネットが飛躍的に発展、さらに電話とは名ばかりの情報端末である携帯電話が登場、異例のスピードで普及したのは周知の通りです。SFっぽくいうと電脳化がすすんだのです。電脳化された社会を描いたアニメで有名なのは攻殻機動隊ですが、より実際に近いのはserial experiments lainでしょう。lainがすごいのは電脳化が進めば起こるであろう、他者が偏在化するという事態に軽く触れたことです。
 人間とは非常に非合理的な生き物で、寂しがりやなくせに、他人を恐れ、嫌わずにはいられないという困ったところがあるのです。(これを臆面もなくさらけ出したのがエヴァです)即自的な意識が対自的な物へ代わる原因は紛れもなく他者の存在です。それまで何の障壁もなく透明だった(と思っていた)はずの他人が、実はまったくもって自分のことをわかってくれない、それどころか自分のことを常に操作しようと常に腹のそこを伺っているということを知るのです。こうして他者が誕生してしまうのですが、他者と自分との境界は実に微妙です。特に日本人は他人の見ている自分の姿を自分のありようで自分のありようを決めようとする性質があります。したがって生身を通したコミュニケーションのように他者が他者としての仮面をつけていてくれないと、実はかなり自分と他者との境界はあいまいになります。 lainの世界のように電脳世界(wired)で人間がつながっていると自我の境界が極めてあいまいになるわけです。玲音はどこにでもいてどこにもいないということです。インターネットの普及とは比べ物にならないくらいに携帯電話はダイレクトに、他者との境界をぼやかしてしまいます。というのもつねに持ち運べて簡単にアクセスできるのにたいし、PCはわざわざ立ち上げなければならない分つながっているときとそうでないときの区別がしやすいわけです(もちろん一日中家に引きこもってPCの前にいるような場合は別ですが)。
 また先に述べたように人は他人と傷つけあわずにはいられないくせに、非常に寂しがりやな生き物で、だから人間関係なんてものはめんどくさいしもめるものです。このめんどくさい物を、めんどくさい物として対処する術を身につけるには通過儀礼として「他者」を知る必要があると思うのです。しかし携帯電話のように常に他人が密着していると、個人は完全に他人から逃げることができないでしょうし,また「他者」としての顔をしていないので「他者」を知ることができず、傷つけあい依存しあうという悪循環に陥るでしょう。
 私は「他者」を知らずに育つことが当人とその周囲の環境に与える影響はあまり望ましくない物であるように思います。ミサトさんもいうように「大人になるってことはお互いに傷つけあわないような距離をとれるようになること」です。そういう意味で子供に携帯電話を持たせるのは止めた方がいいでしょう。

 ただ携帯電話はとんでもなく便利な道具です。いつかは携帯電話を持たざるを得ないでしょう、恐らく本人が望まなくても半強制的に携帯電話を持たされる時代が来るでしょう。ですから私は「子供に」携帯電話を持たせ無いようにする必要があると思うわけです。子供時代に「他者」の洗礼を受ければよいわけです。

 インターネットと携帯電話が人間関係の位相(遠いとか近いとかの関係)をガラリとかえ、これから予想もできないような形へと変貌させていくかもしれません。産業的な理由等から恐らくそれは不可避です。たった一日しか顔を合わせていない人間が強盗や強姦をやるのは別に何の不思議なことは無く、必然といえます。
 自民党の高市早苗というどうしようもないクソ女がいますが、このゴミが筆頭になってウェブコンテンツを規制しようとしています。はっきりいって、ネットの登場による時代(そして人間)の変化は法律を作ったからといって止められるような物ではありません(仮に方法があるとしたらネット自体を禁止するしかないでしょう)。エログロを隠すことは「青少年の健全な育成」にはつながりませんし、出会い系サイトが問題なのではなく、出会い系サイトで出会いを求める人間の「寂しさ」と彼らが「世間知らず」であることが問題です。硫化水素自殺の問題は自殺方法が容易に手に入ることでは無く、日本人のバイタリティーが低下してることです。
 政治家がやりたいのは問題の根本的解決では無く、国民の生活領域の管理と、自分たちが国のために働いているんだというアピールです。奴らの施策は上っ面だけで、「他者」の偏在化という深い重大な問題を解決できないだけでは無く、ネットの可能性の芽を根絶やしにしてしまうでしょう。

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