映画・テレビ

2008年10月24日 (金)

暗黒の時代が始まりますね

 だいぶ更新をサボっていまい、期待していた人がいれば申し訳ありません。
 さて今期のアニメですが、なんというか微妙です。強いて言うなら、妖奇士でほされたとおもっていた錦織博氏が「とある魔術の禁書目録」で復帰したことでしょ う。ただ第2話でスプリンクラーでルーン文字を消したくせに、炎の魔人みたいなの(丁寧に3000度もあるといってました)がいるくせにスプリンクラーが 作動しないというのにがっかりしてしまいました。

 夏ごろまで妙な不安と閉塞感を漠然と感じていましたが、やはりサブカルチャーは時代の空気を体現するのでしょう。エヴァの劇場版ともののけ姫とブレンパワードいう最高に狂っていたアニメが公開されたのは1997年という99年よりも世紀末臭が漂う年でした。そしてまったく先が見えないくせに、未来が明るくないということだけがわかりきっている21世紀に『崖の上のポニョ』と『スカイ・クロラ』の不気味な空気に下塗りされた2作品が公開されました。

 パトレイバー2は冷戦構造の中で日本が上手く立ち回ることで、他国での戦争による繁栄と、その現実から目を背ける欺瞞に満ちた平和を享受していたということが前提にありました。しかし冷戦が終わりグローバル化が進むにつれ荒川の言う「罰」を受ける時がきまたようです。
 虚栄の蜃気楼が長続きはしないのにもかかわらず、その蜃気楼の無菌室の中で培養されたのがロストジェネレーション以下の世代です。上昇していくサクセスストーリーという虚構と、ずっと変わらずに惨めに老いて死んでいくしかないという現実の間で板ばさみになって、いつか悲惨な終わりを告げる終わりなき日常を生きているわけです。明らかに活気のない若者に対しいかに説教してやろうかということで押井守と宮崎駿が(本当は庵野秀明が加わる1997年以来の熱い展開のはずだったのでしょうが、案の定間に合いませんでした)名乗りを挙げたわけです。
 押井監督のスカイクロラは、監督が最も苦手とするラブストーリーでした。押井監督は日常がいかにつまらないかというのは得意ですが、逆に情念のぶつかり 合いの情愛を描くのは不得手な印象があります。押井監督はパトレイバー2で偽善の平和と、現実の戦争という対立には物語として回答を出しましたが、都市の 中で人々がたたずむ幻を超越した彼岸の人である柘植にどう対峙するのかという要の所では、結局南雲さんと柘植のラブストーリーでお茶を濁してしまいまし た。パトレイバーの時は逃げであったラブストーリーを今回は敢えて真正面からぶつかったという感じです。
 現実なんてぶっちゃけつまらないものです。うんざりするほどつまらない現実を生きる支えとしては「ささやかな」幸せしかないわけです。押井監督はこのささやかな幸せとして恋愛を持ってきたのでしょう(個人的には支えのなさそうなミツヤさんとあり地獄のような情愛を演じてみたいところです)。延々ともろい平和を維持するために、出来レースの絶対に負けないし、絶対に勝てない戦争を延々とやらされ続け、たとえ死んでも生き返らされる無間地獄のような日常に、ささやかなあきらめに似た希望を得る物語を上手くつくることが出来たと思います。現実には完全に絶望しかないとは捨てきりたくはないが、かといって未来は希望にあふれているなどというたわごとはそれ以上にやりたくないという要望を上手くかなえることが出来たでしょう。

 スカイクロラはベタに絶望的な閉塞感と弛緩した息の詰まる日常を描きましたが、ポニョは鮮やかな色に彩られた絶妙な質感のある楽園を描きました。しかしポニョは不気味な映画で、実のところスカイクロラと同じくポニョの根底にあるのも「現実はつまらねぇ」というのは間違いないのですが、ポニョは厭世観を裏返しにしたユートピアの映画でした。しかしそのユートピアが美しければ美しすぎるほど、それが強烈な現実逃避の証であるわけです。私は映画を見ている間ずっと「あぁ宗介かわいいよ宗介。やっぱ二次元はいいよなぁ、それに比べて三次元ときたら・・・」と思っていました。
 宮崎駿はナウシカ以降中途半端な映画を何本か作っていました。庵野秀明が言っていたように、映画がクリエイターが自分をむき出しにしてぶつかっていくストリップだとしたら、「魔女の宅急便」「紅の豚」「耳をすませば」は肝心なところでパンツを脱がなかったへたれの所産です。現実は地獄であるのは当人が十分承知のくせに、自身の卓越した表現力により描き出した妄想を現実に混ぜ込んでオナニーをしているようにおもいます。ところが「もののけ姫」で監督は自身の抱えていた政治的な苦悩に全力でぶつかりました。文明と自然、繁栄と平和の矛盾という、どう考えても答えが出るわけのない難問に本気で苦悩し、当然答えが出ないまま公開しました。プロットとしては最低ですが、本気でぶつかった姿勢は最大限評価します。
 「もののけ姫」で真っ白に燃え尽きたのでしょう、そのあとの「千と千尋の神隠し」はいわば遺言だと思います。宮崎駿はもう彼岸の人で、完全に俗世間のことから超越してしまっているのです。ポニョはもののけ姫以前の作品群を連想させますが、ポニョが一線を画しているのは「現実はすばらしい」という虚勢を張るのではなく、この世の夢を描いたということです。
 ただ私にはそんな映画が大ヒットする理由はぜんぜん理解できません。本来こんな映画は、現実に無駄な期待をする恐れがあるので、スカトロに匹敵するほど子供に見せてはいけない映画です。子供を元気にするためにこの映画を作ったのでしょうが、これから先の日本には絶望しかありません、絶望とこの理不尽な状況を通過儀礼として知っている人間だけがこの映画を見る権利があると思います。

 宮崎は微妙ですが、押井がやろうとしたのは若者に対する「人生そんなに悪いもんじゃないぜ」という説教です。説教とは役に立たないものです。というのも人の人生に積極的にかかわろうというのならば、相応の責任を伴うもので、良かれと思おうが思うまいが殺されるくらいの覚悟が必要なのです。説教は相手との関係性を棚上げにして、自分は安全なところにいるくせに人の人生に干渉して「自分は相手のためにしてやった」という満足を得ようという、無責任極まりない本来万死に値する行為です。幸いにして聞く側も「こいつは肝心な時に何もしてくれないくせにえらそうなこといいやがって」と軽く聞き流すので効果はありませんが。
 2作品は説教で上記の理由から効果はまったくありませんし、宮崎駿の場合は「生きていることには価値がある」という嘘っぱちをのたまう、邪極まりない偽善な目的を設定した作品ですが、ともに映画としては非常にすばらしいとおもいますす。

 先の金融危機を発端に世界の勢力地図が大きく変わると私はにらんでいますが、政治家が目をそむけ続けた外交的問題、経済的問題、社会的問題を解決しない限りは日本は10年と持たないでしょう。少なくとも今年の終わりごろから確実に景気は悪化して、ただでさえリセッション入りしていたのがさらに悪くなり、今は時代の転換点であると同時に暗黒の時代への突入前夜であります。
 はっきりいってかなりやばいですが、逆にこの絶望をになったどんなアニメが出てくるのか非常に楽しみにしています。

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2008年5月 6日 (火)

ソイレントグリーンとマトリックス

 今期のアニメは微妙ですね。あえて特筆するとしたらRDでしょう。serial experiment lainと諸星大二郎を無理やり合体させたような地味なアニメだったghost hound(太郎の可愛さは異常でした)に続いて、プロダクションIGと士郎正宗が手を組んだアニメなんですが、ghost houndよりもさらに地味でわかりにくいアニメです。
 まず主人公が80近い老人で、その老人が海に見立てた電脳世界にもぐるのが話の軸という、非常に地味な絵柄。さらにすごいのが出てくる女の子の足の太いこと太いことww弘兼憲史とさいとうたかをのマンガにでてくる女より肉付きがいいです。トドメに番組が終わった後にヒロインの声優が実物で出演するサービス付です。プロダクションIGさん勝負に出すぎです(笑)。
 客に媚びないBONESでさえ、ストレンヂアとDARKER THAN BLACKで散財したあとにソウルイーターで一山当てようとしているのに、まだ勝負を続けようとするIGさんの心意気はまさに漢です。まぁBONESも負けずに「20面相の娘」なんてリスキーなアニメを作ってますし、IGもホリックという確実に一定の利益の見込めるアニメを発表してますが。
 まぁ今のままだとよくわからない変なアニメのままですが、今期化けるとしたらこのアニメでしょう。とりあえず今の私はマクロスのクランと、ひだまりラジオ、ムネモシュネの麻美子とくぎゅの濡れ場で食いつないでいきます。

 さて今回はタイトルにあるようにソイレントグリーンとマトリックスという映画に関わる話をしようとおもいます。
 ですがソイレントグリーンやマトリックスはストーリーについて別に熱く語るような要素は特にありません、所詮は叩いても生きることを無条件に称えるありがちな道徳規範しかでてこないからです。(白状するとソイレントグリーンは話の筋しか知りません)私がこの作品から何をいいたいかというと、ディストピアとして描かれた両者の世界が今の日本そしてこれからの日本に比べれば、はるかにユートピアだということです。

 マトリックスは古い映画ではないので記憶に新しいですから知っている人も多いでしょう。機械が世界を圧倒的力で支配し、人間を電脳世界(マトリックス)に閉じ込め、人間は機械の見せる夢の世界でそうとは知らずに飼われているというのがマトリックスの世界です。
 人間は「世界はこうである」という認識、いわゆるリアリティなんて物のなかでしか生きていけないのですから、面白ければそれでいいという私の考えからすれば、まぁ知らずに楽しんで生きていけるならそれでいいじゃねぇかというわけです。最後まで知らずにいられるならば知らぬが仏というわけです。
 作中のハゲは私と違って、この映画の世界を地獄だと思ってますが、この違いはなんといっても肉体に関する一種の崇拝です。つまり肉体自体に「生(性)の悦び」という言葉に代表されるように何かしら超越的な価値をどっしりと置いているということです。これは単なるフェティズム以上の物から由来していると思います。
 私は特に深い論理づけや決定的な根拠があるわけではないですが、人間には自分のからくりを知ることや、自分自身や人間自身を操作可能なものにしてしまうことに嫌悪感や恐怖感があると思っています。一応映画の中から例を引っ張ってくると、機械たちが死んだ人間を「モノ」として、養殖している他の人間のエサにすることに、登場人物の一人が恐怖しているシーンがあります。一般的な例では売春や中絶、臓器移植、クローン技術に対する一種の忌避意識があります。これらは文化、宗教、個人の価値観によって大きな差がありますが、人間を操作可能な「モノ」として捉えることへの恐怖はかなり普遍的なものだと思います。そしてさらにその恐怖からかどうかはわかりませんが、「生きること」やナマモノの異性とのセックス(しかも心が通ったというオブラートで包んで)さらには肉体を無条件に美しく素晴らしい物だとする規範が広くキリスト教圏を中心に広く普及しています。この規範は無条件に生きることを肯定してくれるのでかなり感染力のある規範です、さらにこの規範を持った人間はこれを否定するような物や人を徹底的に攻撃し、場合によっては殺してしまいます。「生きることは素晴らしい」という規範が人を殺すのですから変な話です。

 ソイレントグリーンは貧富の格差が拡大した社会を舞台にした映画です。貧しい人々には死ぬ自由だけは保障されていて、公共の自殺するための施設で安楽死をすることができるのです。そしてそこで死んだ人々は極秘にある会社に運ばれ、食肉として加工され、市場に出回っているというのがこの映画のオチなのです。
 つまり社会というのが貧困層と富裕層という構図自体を内包した巨大な牧場となり、、貧困層を絶望の淵に追いやり、自らの選択で死なせ、それを食料として富裕層に回しているのです。ここで重要なのが貧困層を無理やり殺すのではないことです、結果としてはそうなるのですがいくつもの段階を経ることで単純な悪役がいなくなるということです。
 これは実は今の日本に非常に近い構図をしています、そしてその社会の仕組みはより狡猾になっています。違うのは貧困層は食料としてではなく労働力として機能しているということです、だから死ぬ自由すらない。ブラジルとか日本より貧富の格差が大きい国もありますが、貧困層は貧困層で共同体を作り社会の中でまとまっていて、そして労働力は搾取されていません。ほかの格差が大きい国でも同じです。日本は貧困層を細分化し、部品として完全に組み込んで回っています。
 落ちこぼれが出るのが必然なのではなく、落ちこぼれが出てくれないと回らない社会というわけです。
 牧場で生まれたばかりの牛が「俺もう生きてんの嫌になったわ、どうせ生きてても殺されるだけだし」といって自殺しようとしたら、牧場主は全力で止めるでしょう。ヘンゼルとグレーテルのようにパンパンに太らせてから殺さなければいけないからです。もし自殺しようという人がいるならば、周りの人は全力でとめるでしょう。その人たちは「お前から労働力を搾取するんだから死ぬな」とはいいません、その人たちが止めるのわけは、自分の命が価値のあるものだと思いたいからで、つまるところオナニーです。彼らも所詮は社会の部品に過ぎないということです。
 人の命は誰の物かというと、少なくともその人のものではありません。命は個人のものだとか尊いとかほざくバカどもが、人の命を規範でがんじがらめにし、貶めているのはなんとも皮肉なはなしです。
 バイオ技術の躍進とかオブラートで包んだ言葉でごまかしてますが、金で命が買える時代が確実に近づいています。そして命や「生きる幸せ」を買える人間と 買えない人間という現実(この現実自体は今までも存在しました)がよりはっきりした形で顕在化するでしょう。もうそうなってしまってはマトリックスのとこ ろで述べたような「命の尊さ」という規範がなりたたなくなるでしょうし、その段階で「生きる」ことを無条件に肯定し、押し付けるのは偽善というよりも、他 人の手でマスを掻くようなものです。
 孤独にロロ雑巾のごとく使われ、すりつぶされていく人間に「生きることの素晴らしさ」なんてのたまえる人間は、オナニーぐらい一人でできるようになるべきです。「硫化水素の発生方法」を有害情報として規制しているように、今の日本には死ぬ自由すらないのです。安らかに人生にピリオドを打てるソイレントグリーンの世界がいかにマシでしょうか。

 今の日本がうまく回るシステムかというとそんなわけがありません。このまま所得格差を放っておくと、少子化と不況で確実に国が転びます(アフリカ等の貧困と今の日本の貧困は別の次元の問題で、貧困層の再生産がおこなわれません)。今の議員たちにはその危機感がまったく感じられません。
 このまま国が沈み金持ちがねずみのように逃げ出すか、あわててより狡猾なシステムを作るかわかりませんが、どちらにせよろくな未来が待っていないのは確かでしょう。

 

 

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